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神道夢想流杖術の由来

神道夢想流杖術の由来

故乙藤先生と塩川先生

第二十六代の統 故乙藤市蔵師範(左)と
全日本杖道連盟最高師範 故塩川寶祥師範(右)
乙藤家にて



神道夢想流杖術は、今から約400年前夢想権之助勝吉によって創始されたものである。

流祖夢想権之助は、初め天真正伝香取神道流の奥義を究め、その免許を受け更に鹿島神流の流祖、松本備前守について鹿島神流の奥義を究め「一の太刀」の極意を授かったと伝えられている。
慶長の頃権之助は江戸に出て、有名な剣客と数多く試合をし一度も敗れたことがなかった。 しかしある日、播州明石において剣豪宮本武蔵と試合をし、武蔵の二天一流の極意である十字留にかかり、押すことも退くことも出来ず敗れてしまった。
それ以来権之助は艱難辛苦の武者修業をして諸国を遍歴し、武蔵の二天一流十字留打破に工夫専念した。

数年後、筑前の国(福岡県筑紫郡)に至り、太宰府天満宮神域に連なる、霊峰宝満山に登り玉衣姫命を祀る竈門神社に祈願参籠すること37日、至誠通神し、満願の夜夢の中に童子が現れ、「丸木をもって水月を知れ」との御神託を授けられた。
権之助は、丸い木と水月の御神託を体して、種々創意工夫し、三尺二寸の太刀より一尺長くして四尺二寸一分、直径八分の樫の丸木を作りこれを武器とし、槍、薙刀、太刀の三つの武術を総合した杖術を編み出し、遂に宮本武蔵の十字留を破ったと伝えられている。

その後、権之助は黒田藩(福岡)に召しかかえられ、権之助を師範と仰ぎ十数人の師範家を起こし盛大に指南せしめ、特に藩外不出の御留武術として伝えられてきたものである。

明治維新の政変により、明治四年杖術も必然的に解禁されるに至って初めて一般に紹介されることになった。
黒田藩士第二十四代の統、白石範次郎重明の高弟清水隆次克泰師範が上京し普及発展に努め、一方福岡では同じく高弟乙藤市蔵勝法師範が第二十六代の統として御流の継承と発展に精力的に活躍された。



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