太刀落(たちおとし) | |
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中段に構えた刀に対し、体をさばいて頭部を打ち、相手が斬ってくるのを繰り付ける。 その後、突き、打ちと連続的に攻撃し、制する。 | |
中段に構えた刀に合わせる | |
左斜め前へ体をさばきつつ頭部を打つ | |
斬ってきた刀を受け、杖先で目を攻める | |
手首を繰り付ける | |
腰を捻りながら杖を回転させ、両手一杯に取る | |
踏み込んで突く | |
踏み込んで頭部を打つ |
流祖夢想権之助について
神道夢想流杖術の流祖夢想権之助は、[武稽百人一首]の中で「武道をば 神の夢想ぞ 権之助 自らゆるす 天下一の名」と詠まれていますし、寛文6年丙年弥生(1666年3月)に出た堤六左衛門坂行の「海上物語」にもその名が出て来ます。 *その器量人に勝れたる大男、太刀をさし本より末まで筋がねを渡したる四尺余りの木刀を持ち、我におとらぬ弟子共を8人も連れ、羽二重のひとえ羽織に大きな朱の丸を付し、肩先より帯下までに「兵法天下一、日本開山、無双権之助」と金を以って書いたものを着ていた。 「どのように強い者でも仏法の修業の力のない者は、土壇場にて臆して不覚をとるものなり」と武蔵は言っています。 杖道の創始者である夢想権之助は神道夢想流秘伝で、次のように述べています。 *我が国においては剣術のみが武術であるとの考えが主流になっている。 *剣をもって人を殺すことが武の本来の道ではない。 *口伝であれ書であれ奥義に変わるところが無い。 権之助の眼には、棒は無から有を生ずるための媒体であり、有を無にする為のものではないと写ったのでした。 伝書に記されている杖道の古歌をいくつか附します。 敵の打ち太刀は 影さへなかりけり 我が稲妻の光満寿ゆへ(免許より) つけば杖 うてば長刀 持てば太刀 とにもかくにも はずれさりけり(免許より) 突けば槍 払えば長刀 持てば太刀 杖は かくにも外れざりけり(免許より) 勢がんの玉の光を忘れなば やみにも見ゆる 敵の在家は(後目録より) |
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神道夢想流杖術の形
杖道の形は武道そのものが生活の総てであり、修業の成果が武術家の生死をも左右する時代に、血の滲む稽古と研究の成果が集大成されたものである。 現代の武道の修業は、目標に向かう集中力と変化に対する的確な判断力、迅速に対応する体力を養う為にその修業は真剣であり、気迫を込めた稽古でなくてはならないと思われる。 形は、技の部と心の部に大別されており、技の修業から心の修練に通じ、その人の人間形成に重点が置かれている。 |
<型名>
表
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基本技を修業することを目的とした十二本で構成されている。正しい姿勢、形と技を身につ ける様心掛けねばならない。 |
太刀落 鍔割 着杖 引提 左貫 右貫
霞 物見 笠之下 一禮 寝屋之内 細道
中段 |
中級者の技を中心に十二本の形で構成されている。動きが激しくスピードも要求される。 表業を修めその基礎のうえに立って懸る形である。 |
一刀 押詰 乱留 後杖(前、後) 待車 間込
切縣 真進 雷打 横切留 払留 清眼
乱合
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目録にその名はないが、表、中段の技を総合した形で手数も多くスピードも要求される。古くから中級修業者の目標となっている形である。 |
大太刀 小太刀
影
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心の修練をすることを目的とし、表業と同名の十二本で構成されている。手数は少なくス ピードもないが気迫に満ちた稽古が必要であり、心技の基本と考えられる。 |
太刀落 鍔割 着杖 引提 左貫 右貫
霞 物見 笠之下 一禮(前、後) 寝屋之内(前、後) 細道
五本の乱
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第二十五代の統、故清水隆次克泰師範が考案した形で、表、中段、影を総合し、乱合を発 展させた中級者の修業を目的とした形である。 |
太刀落の乱 左貫の乱 間込の乱 霞の乱 斜面の乱
五月雨
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影が心錬の基本ならば五月雨は心錬の中段と言える。六本の組形で構成され、その技は気位を も要求され、心、技、体のの完全一致を見なければ出来得ない高度な形である。 |
一文字 十文字 小太刀落 微塵(表、裏) 眼潰
奥
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永年の修業を終え、心、技、体とも卓越された人格者のみに伝授される形である。 |
先勝 引捨 小手搦 十手 打分 水月
左右留 小手留 突出 打附 見替 阿吽
極意
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(五夢想の杖) |
闇打 夢枕 村雲 稲妻 導母
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第二十六代の統 故乙藤市蔵師範(左)と
全日本杖道連盟最高師範 塩川寶祥師範(右)
乙藤家にて
神道夢想流杖術は、今から約400年前夢想権之助勝吉によって創始されたものである。 流祖夢想権之助は、初め天真正伝香取神道流の奥義を究め、その免許を受け更に鹿島神流の流祖、松本備前守について鹿島神流の奥義を究め「一の太刀」の極意を授かったと伝えられている。 数年後、筑前の国(福岡県筑紫郡)に至り、太宰府天満宮神域に連なる、霊峰宝満山に登り玉衣姫命を祀る竈門神社に祈願参籠すること37日、至誠通神し、満願の夜夢の中に童子が現れ、「丸木をもって水月を知れ」との御神託を授けられた。 その後、権之助は黒田藩(福岡)に召しかかえられ、権之助を師範と仰ぎ十数人の師範家を起こし盛大に指南せしめ、特に藩外不出の御留武術として伝えられてきたものである。 明治維新の政変により、明治四年杖術も必然的に解禁されるに至って初めて一般に紹介されることになった。 |
「杖道」紹介
「杖道」・・・・・・・・・・皆さん聞いたことがあるでしょうか? 杖道は形武道です。形武道は一般に攻撃と防御を合理的に組み合わせた形を反復して稽古する武道のことであり、合気道、居合道もこの形武道の典型といえるでしょう。 杖道の形は総て杖と太刀の組み合わせで出来ているため、長さ四尺二寸一分(約128cm)、丸木の直径八分(約2.4cm)の樫の木の直杖を用いる他、木刀の太刀と小太刀を用います。 この杖道の精神は、かつて「我が胸に 燃ゆる思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」と詠んだ幕末の志士、平野次郎国臣(杖道の達人でもあり彼の父平野吉三能栄は第13代の統)が杖道について「疵つけず 人をこらして 戒しむる おしえは杖の 外にやはある」と詠んでいるように、真剣勝負の場合でも相手を殺したりせず、又疵つけずに戒めなさい、と言っている事でもお判りの事と思います。 杖道の稽古は、伝書に「突けば槍、払えば薙刀、持たば大刀、杖はかくにも 外れざりけり」とある様に、永年伝えられて来た突き、払い、打ちの組み合わされた形を反復して行うものです。そして身体の鍛練は勿論のこと姿勢を正し反射能力を養い、仁徳、義徳、礼徳、智徳、信徳、勇徳の六徳を修業し、人間形成に役立てる他、護身の技(術)を身につけることを目的としています。 人は出会いによって、その人生は楽しくも、また苦しくも悲しくもなるものと思います。 杖道との出会いが皆様の人生のより良き発展と健康に寄与することを祈念致します。 |
神道夢想流杖術
夢想権之助が神託を得た筑前宝満山の竈門神社境内の夢想権之助神社