神道流剣術
神道夢想流杖術という流派の付属武術は正確には神道流剣術だけであり、十手、鎖鎌等は伝承の過程で派生してきたものである。 開祖夢想権之助勝吉は、神道流(新當流)剣術、長刀(なぎなた)術、槍術等の伝承者で、その術技を基に杖術を編み出したため、併伝の術として、杖術の奥伝の後に大太刀八通り、小太刀四通りの神道流の太刀を伝承の中に加えたのである。 また、この神道流剣術十二本、四通八通(しつうはっつう)と称しているものは表技であり、夢想流杖術の打太刀がその影技とされ、さらに伝承の過程で神道流(新當流)の術が混在して現在の形となっている。 |
中和流短剣術
表、影とも同名である。なお、霞の剣は口伝であり、伝承者にのみ伝えられる。
右剣(うけん)
左剣(さけん)
残剣(ざんけん)
蹴上(けあげ)
一乱剣(いちらんけん)
入身(いりみ)
一風(いっぷう)
目当(めあて)
右刀(うとう)
五輪(ごりん)
一声(いっせい)
口伝(霞)(かすみ)
一心流鎖鎌術
表、影とも同名である。
居敷(いしき)
添身(そえみ)
羽返(はがえし)
無眼(むがん)
十文字(じゅうもんじ)
振込(ふりこみ)一文字
振込(ふりこみ)十文字
磯之浪(いそのなみ)
巻落(まきおとし)
三所詰(みところづめ)
浮船(うきふね)
袖搦(そでがらみ)
奥
前
後
左
右
槍合 前
槍合 後
長柄鎌(内田良五郎系)
一達流捕縛術、一角流十手術、一心流鎖鎌術、中和流短剣術
この四つの術に関しては、開祖から現在にいたる杖道の伝承の過程で生まれてきたもので、ここでまとめて説明をします。 まず捕縛術ですが、真道夢想流棒術三代の松崎金右衛門重勝が流祖です。元々杖術は黒田藩の男業(だんぎょう。下士、足軽等の捕り方武術である杖術、捕縛術等の総称)の中に伝えられたため、捕縛術などが派生したのは当然の事だったのでしょう。 また一角流十手術に関しては前述の男業の中に捕縛術としての一角流があり、その一部である手棒術を取り出して残したという側面があります。一角流の捕縛術に関しては残念ながら絶伝しているようです。 一心流鎖鎌術は念阿弥慈恩(念流)、堤法讃(宝山流)を祖とし、第六代の丹一心によりまとめられた術です。神道夢想流二十四代宗家の白石範次郎が一心流鎖鎌術十代宗家でもあったため、今に伝えられています。一心流の鎧組打等につきましては、一部一心流鎖鎌術に反映していると思われますが、残念ながら絶伝しているようです。。 さらに黒田藩の男業において、杖については夢想流の他に天阿弥流杖術、神乳限木術、また捕縛術については一角流、一達流の他に制剛流、自剛天真流等が学ばれていたため、十手、鎖鎌はそれらの流派の術が奥伝、口伝等として若干付け加えられていると思われます。 中和流短剣術ですが平野三郎能得、吉村半次郎義信の二名が中和流剣術を学んでおり、十手術の十手、鉄扇を短剣に、打太刀を中和流抜刀術に組み替えた中和流短剣術の祖と考えられます。 |
内田流短杖術
日本の古武道には各流・各派共に棒術(六尺棒、四尺二寸~五寸杖、三尺短杖)と言われるものがあり、此れは樋口流・渋川流等柔術等にも皆あります。当流は約百三十年前安政の頃、平野三郎能得の兄弟弟子である内田良五郎が考案し、それ以来神道夢想流杖道とともに継承されてきた別名ステッキ術と言われているものです。杖の長さは約三尺位、直径八分位とされていますが、体長に応じて長くも短くも、自分の杖・ステッキとして使用しやすい長さにして結構です。 この術は、明治以降の西洋化の中で広く一般に用いられるようになったステッキを使い、神道夢想流の捌きを元に一角流捕縛術等を加味して編み出した十二本の形からなっています。打つ、突く、受け、当て身、逆技等理にかなっており、空手道、合気道やサイ・ヌンチャクの技も含まれています。当時内田良五郎は白石範次郎の道場にしばしば顔を出しており、この術が白石門下に伝えられ、現在にいたっています。 当初十一本からなっていたこの術ですが、大阪府警の武道師範故中嶋浅吉先生が四本目繰付と五本目の後杖を十二本目の脛砕きに取り入れ十二本として指導していたため、十二本で稽古している場合もあります。 |
一本目 | 小手打(こてうち)(左) |
二本目 | 小手打(こてうち)(右) |
三本目 | 捨身(すてみ) |
四本目 | 繰付(くりつけ) |
五本目 | 後杖(うしろづえ) |
六本目 | 水月(すいげつ)(左) |
七本目 | 水月(すいげつ)(右) |
八本目 | 斜面(しゃめん)(左) |
九本目 | 斜面(しゃめん)(右) |
十本目 | 拳砕(こぶしくだき) |
十一本目 | 入身(いりみ) |
十二本目 | 脛砕(すねくだき) |
杖術の付属武術について
一達流捕縛術、一心流鎖鎌術、一角流十手術、中和流短剣術について
一達流捕縛術の形