一達流捕縛術、一角流十手術、一心流鎖鎌術、中和流短剣術


一達流捕縛術、一角流十手術、一心流鎖鎌術、中和流短剣術


稽古風景



この四つの術に関しては、開祖から現在にいたる杖道の伝承の過程で生まれてきたもので、ここでまとめて説明をします。

まず捕縛術ですが、真道夢想流棒術三代の松崎金右衛門重勝が流祖です。元々杖術は黒田藩の男業(だんぎょう。下士、足軽等の捕り方武術である杖術、捕縛術等の総称)の中に伝えられたため、捕縛術などが派生したのは当然の事だったのでしょう。

また一角流十手術に関しては前述の男業の中に捕縛術としての一角流があり、その一部である手棒術を取り出して残したという側面があります。一角流の捕縛術に関しては残念ながら絶伝しているようです。

一心流鎖鎌術は念阿弥慈恩(念流)、堤法讃(宝山流)を祖とし、第六代の丹一心によりまとめられた術です。神道夢想流二十四代宗家の白石範次郎が一心流鎖鎌術十代宗家でもあったため、今に伝えられています。一心流の鎧組打等につきましては、一部一心流鎖鎌術に反映していると思われますが、残念ながら絶伝しているようです。。

さらに黒田藩の男業において、杖については夢想流の他に天阿弥流杖術、神乳限木術、また捕縛術については一角流、一達流の他に制剛流、自剛天真流等が学ばれていたため、十手、鎖鎌はそれらの流派の術が奥伝、口伝等として若干付け加えられていると思われます。

中和流短剣術ですが平野三郎能得、吉村半次郎義信の二名が中和流剣術を学んでおり、十手術の十手、鉄扇を短剣に、打太刀を中和流抜刀術に組み替えた中和流短剣術の祖と考えられます。



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